ぐうたらママのナインオール

仕事(臨時職員)と娘(小学5年生)と卓球(趣味)と

ペンフレンドはポーランド人

中学2年の時、チキンというあだ名の英語の先生に勧められてペンフレンド登録をしてみました。


今考えると、酷いあだ名です。すいません。

 

何百円かの登録料を払うと、多分ジャパニーズ ペンフレンド ホシイデス!的な外国の生徒を紹介してくれるシステムなのでしょう。

 

しばらくすると、ポーランドの女の子から手紙が届きました。

 

ポーランド?どこ?英語?

 

当時の中学2年なんて、なーんも知らないお気楽女子ですよ。文通相手はアメリカ人だとばかり思っていました。英語イコールアメリカ人やろ。

 

青いボールペンで、非常に読みにくい字が筆記体で書かれてました。学校で習った筆記体は右斜めに揃えるのに、彼女の字は垂直、もしくは左側に傾いていたのです。

 

手紙イコール黒ボールペンやろ。
筆記体下手すぎやろ。

 

便箋というのか、今ではお洒落にさえ思える小さなマス目ノートに、マス目を無視して書かれていました。

手紙イコール無地か罫線やろ。

 

当時の島国&田舎娘の常識とは、かけ離れたブツを初めて手にしたのです。

 

さらに恐ろしいのは住所も名前も読めません。あ、ここはブロック体で書かれていたのですが、もちろんポーランド語なんで。

 

名前はなんとなく、無理矢理、英語やローマ字の発想で
マルゴーシア ウィルカクズ さんにしました。

 

私からの手紙で、お名前の読み方教えてね!と書いてみたのですが、教えてくれた発音記号が英語にないものだったのか、断念した記憶があります。

 

以下、マルちゃんと呼びます。

 

マルちゃんは私の1つ年上で、首都ワルシャワに近い都市に住んでいました。英語と地学に興味があるそうです。地学て?

 

将来はイギリスの大学に留学して英語の勉強をしたいと書いてありました。真面目です。私は当時なんと書いたのやら。多分、I  like English,too. 位ですよ。

 

同年代の子が、しっかりと将来の事を考えているなんて驚きました。しかも当時の私の英語力(教科書レベル)を遥かに上回る内容、読むのも書くのも苦労したもんです。

 

それでも何度かやり取りをして、写真や切手やチョコレートの交換をしたりして、異文化を知ることにワクワクしていました。

 

そして迎えた1986年春。あの大事件が起こりました。チェルノブイリ原発事故です。

 

ソビエトの隣国ポーランド。私は彼女の事が心配でした。大丈夫?の手紙を送りました。

 

返事が来ました!大丈夫よ。でも小さい子供の健康が心配だと。小学生までの全員は国から緊急の薬を飲まされたと。マルちゃんは中学生だから本当は飲めないけど、彼女のお母さんが医師で、手に入ったと。とても悲しい事故だと。

 

連日のニュースが、遠くの国の大惨事を伝えていました。私の友達はおろか、私の家族さえも、全くの他人事で関心は無さそうでした。

 

親に至っては、

    その手紙、放射能付いてるんじゃない、やめたら?

とまで言いました。

 

私は泣きました。会ったことも話したことも無いペンフレンドと、当時の東ヨーロッパを思って泣きました。

 

世界は大きく、知らない事がたくさんで、でも知ることが出来るんだ!と一通の手紙から感じたあの頃。懐かしいです。

 

マルちゃんとは高校で連絡がつかず、今に至ります。きっとイギリスの大学を出て、バリバリやってるだろうな。So long!

 

私は青いボールペンを使うようになっていました。

 

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ポーランドの切手

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いかにもヨーロッパらしい

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中学生相手になぜこれをプレゼントしてくれた?