ビールかけは死ぬほど寒い!1999年パリーグ優勝決定時、裏方の1人だった事を思い出してみた。ビールの代わりにアレを使った話。
西武優勝おめでとう!
(だけどホークスの話、書いちゃうよ)
私は福岡県民で、ホークスに勝ってほしかった。街の盛り上がりが違うからね。
しかし、あんなに首位独走していたのに、分からないものだ。もうっ!
とは言うものも、今はそんなに熱いファンではなく、たまにニュースでチェックするくらいだ。すんません。
しかも今から書くのは昔話。どうもすんません。
あれは1999年、福岡ダイエーホークス初優勝の時。
ゲゲ!20年前か。私もウレシハズカシ20代だった頃か、イヤーン。
確か携帯のアンテナをピーンと立てて電波の良いところを探して、天井に向けたりしていた時代。
私は某球場の社員で、野球担当で、朝から夜まで野球漬けの毎日だった。
今でこそ常勝軍団であるホークスだが、当時は毎年Bクラス。
世界の王さんが監督で、小久保、松中、井口、城島などのスラッガーがいて、元西武の工藤、秋山がいて。
なんで勝てないんだよ〜!とマジで泣いていた時代。
それがいざ優勝争いとなると、社員関係者たちも浮足立つわけで。
地元九州もソワソワするわけで。
マジック点灯すると、もういつ仕事が終わるのか全く分からない。
なぜなら①優勝した場合、②優勝しなかった場合の2パターンの準備に取り掛からなければいけないからだ。
宣伝広報サイドはポスター、チラシ、CM、セール、テレビ出演などの手配。2パターン。
運営サイドは①ホームグラウンドか、②ビジターかで異なる、祝勝会、通称ビールかけの手配。
中でもビールかけの手配はやっかいなのだ。
当時、福岡ダイエーホークスの優勝ビールかけがビールではなかった事を覚えている方はいるだろうか。
「祝勝水」と呼ばれる水だったのである!
ダイエーという当時の大手スーパー(親会社)が、ビールを飲まずにぶちまけるなど、とんでもない!とペットボトルの水が相当数用意されたのだ。
あれ?炭酸水だったかな?忘れちゃった。
かなり衝撃的で、正直カッコわる〜!と不評であったが、今考えると面白い事したなぁと思う。確かに飲まないビールなんて、もったいない!
で、ホームで優勝なら地元待機組も加わってビールかけの準備ができるが、ビジターは大変なのだ。
なぜなら、ビジターのおそらく宿泊ホテルの宴会場や駐車場を貸し切り、ブルーシートや祝勝水を持ち込む。
試合見ながら今日優勝かも!で、慌てて準備。
優勝かもだったのに、結局負けたんかよ!で、撤収。
それを遠征先に運び込んでは撤収、を繰り返すことがあるからだ。
もちろん現地ではバイトやイベント業者を雇うが、指示出す方も気が気じゃない。コストもね。
ホークス初優勝はホームだったので会場の準備は万端だった。ブルーシートで床や壁を覆って、大きな酒樽を置き、マイクスタンドや長机を準備しておけば良い。
私たち女性スタッフも、よいしょよいしょと酒樽を運んで、ついでに樽のフタを割る真似をこっそりしたりした。てへ。
ビール瓶でなくとも、ペットボトル、かなりの数だったと思う。それを長机にズラズラーっと並べた。
別室で試合状況を見ながら、運べ〜!いや待て〜!と右往左往しながら。
そして試合が終わり、決まった!
キャーッと叫んで、スタッフ達と泣き、2パターン準備されていたうちの優勝パターンTシャツを着て会場でスタンバイ。
(この時の優勝しなかったパターンは、幻の非売品「ありがとうホークスTシャツ」として、私の家のどこかにある。多分)
あとは祝勝会が始まると、空きボトルの回収に忍者のごとく走り回ればよい。
選手達のふざけ合うシャワーを避けても浴びながら、ボトル回収。
ブルーシートがビチョビチョで何度も滑っては、ボトル回収。
カメラに映らないようにしながら、でも濡れた髪を整えたりもして、ボトル回収。
水はもちろん常温だし、ビールだとしても常温なのだが、季節は秋の夜。
マジで寒いし、指はシワシワだし、メイク落ちるし、歯はガタガタするし、大変だった。
それでも、その震えは選手とともに戦ってきた感動で、という事にしておこう。
祝勝水は手元にないけど、コカコーラの優勝ボトルならあった!これはビールかけとは何の関係もありません。