ホークス日本一で、思い出した!19年前はすっごいアナログでチケット売ってた私。それはFAX、台帳、鉛筆書きの嵐。
ホークス快勝で日本一。おめでとう!㊗️
そういえば19年前のON対決を、福岡ドーム関係者の一人として体験した事を思い出した。
この頃はホークスの現場からチケット営業に異動していた。
当時は日本シリーズのチケットを、顧客、知り合い、知り合いの知り合い、などから何とかならないかと問い合わせがすごかった。
しかも、今からじゃ考えられないようなアナログ作業でチケットの販売先を決めていたのだ。
一般販売以外の関係者用、ドームの年間予約席用は、まずはFAXで事前受付。営業が日程別ので〜っかい台帳に鉛筆で希望の席を埋めていく。
年間予約席を購入している顧客も、やはりその顧客の顧客から熱望される訳で。何とかならんね?とお願いされる訳で。
だからキャンセルの奪い合い、席の交換が営業同士で行われた。決まれば入金確認、催促。
この時は私もバイク便スタッフの様にあちこちに配達もした。バイクは乗れないけど。
日本シリーズが決まる短期間で、チケット振り分けと入金と受け渡しをしないといけない。
まさに猫の手も借りたいくらいの忙しさだった。何千枚ものリアルチケットをピリピリ線で切り取り、席の見取り図に配置していく。ゴムで束ねて。
遠方は宅急便。今ならデジタルで済むのかな。
現在の私と言えば、家族とテレビを見ながら、チャンネルも変えながら、の、ゆるゆるな感じ。
試合内容よりも、ああ、試合数少ないと興業収入減るなぁ、巨人辛い!
とか、今頃各地でセールの準備で慌ててるなぁ。
とか、チケットやっと取れたのに試合無いなんてかわいそうだなぁ。
とか、返金作業も大変だなぁ。とか。
つい、そんな視線で眺めてしまうのだよー。
そしてそして、19年前のON対決の数日後に現役で亡くなった藤井将雄投手(背番号15)を思い出す。
社会人野球から入団したからか珍しく腰が低く、私たちスタッフにも普通にやさしかった。本当に本当にナイスガイだった。
きっと工藤監督も思い出してるね。
これは2000年パリーグ優勝記念誌。西日本新聞社。写真の背番号15は藤井ハリー。当時入院中の藤井投手の代りに。
次回は、私が公式サイトで初めて試合速報をした当時のことを書こうと思う。
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ビールかけは死ぬほど寒い!1999年パリーグ優勝決定時、裏方の1人だった事を思い出してみた。ビールの代わりにアレを使った話。 - ぐうたらママのナインオール